日記20160430 正直者が馬鹿を見ないように

「正直者が馬鹿を見る」という諺がありますが、普段の生活で正直者が馬鹿を見てしまうことは良く起こりがちです。会社なんかでもコツコツと真面目に仕事をしている人が、急に大声をあげて主張する人に押し負けてしまし、評価がされなかったり、進めた仕事が振り出しに戻るなんてことがあります。ご近所付き合いだったりという身近な集まりなどでも、言葉巧みに人を誘導したり、さも組織の利益になることだと詭弁を使って自分の都合で他人を振り回したり。そんな場合、コツコツと頑張っている人は自分の意見を押し殺してが我慢しがちになってしまいます。


こちらでは相続や遺言に関する場面での「正直者が馬鹿を見てしまう」ケースをご紹介します。私はできるだけ「正直者」である方が報われることを望みます。長〜い目で見れば正直者が正しい評価を得るのかもしれませんが、やはり短い目で見ても正直もが報われる方が良いのです。

 

 

<正直者とはどんな人>

さて、正直者とはその通りに「嘘をつかない人」だけの意味ではないと思います。私が思う正直者はこんな感じの人です。

 

・責任感がある。

・他人のことを思いやる気持ちを持っている。

・損得勘定だけが行動原理ではない。

 

あえて3つを挙げてみましたが、正直者とは基本的には一般的な良心がある人、ということでしょうか。この辺りは人によってそれぞれの価値観なので、私の独断と偏見で進めさせていただきます。

 

 

◆遺言書が残されていなかった◆

遺言書に関することでも正直者が馬鹿をみてしまっているのでは、と寂しい気持ちになることがあります。もちろん問題の解決のためには、第三者である私がそのような感情を持つことは良くないことだと思います。しかし、相続人の個別事情を踏まえれば、やはりそのような気持ちを禁じえないときもあるのです。

 

 

遺言書に関することで正直者が報われないために辛い思いをするケースとして、遺言書を残さなかったがために相続人は平等に相続することとなってしまった時です。


晩年に身体を壊し、看病が必要だった父親が亡くなりました。その父親の看病はずっと同居をしている長女が続けていました。兄弟は3人でしたが、父親の看病は長女だけが行っており、その他の兄弟は別の場所に住んでおり、看病は一切しておりませんでした。


長女は父親のために看病を続けたため、自分のしたいと思うことは随分と制限されました。それでも父親のことを考えると施設や病院に入れっぱなしでは気の毒だと自宅にて看病を続けました。

 

父親は自分のために尽くしてくれた長女には感謝をしており、当然に他の兄弟よりもたくさんの財産を受取ってもらいたいと思っていました。

 

しかし、父親は亡くなったとき、遺言書を書いていませんでした。遺言書を残さなければ看病をしてくれた長女に他の兄弟よりも多くの財産を残すことはできません。父親は遺言書を書くことを知らなかったのか、当然に長女がたくさんの財産をもらえると思いこんでいたのか、また、他の意図があったのか。

 

父親の考えはわかりませんが、遺産は兄弟全員が話し合いで決めることになりました。しかし、誰も長女が父親の幸せをどの兄弟よりも願い、そしてそのために自身の身を犠牲にしてきたことは評価してくれませんでした。法定相続分できっちり分ける場合、父親と暮らした土地や家屋を売らなければならないかもしれないというのに、兄弟3人平等にすべき、と平気で言います。果たしてこれが平等でしょうか?

 

この場合、長女は父親の幸せのために自分を犠牲にしてきました。しかし、その犠牲について正しく評価してくれる人は父親だけでした。その父親が亡くなってしまえば長女に見方はいません。私はこのような状況を正直者が馬鹿を見てしまったと感じます。兄弟それぞれ都合はあるでしょう。しかし、介護の大変さは介護をしたものしかわかりません。介護の大変さは理解されづらく、どうしても不平等を発生させるように思います。

きっとこの状況を裁判所に訴えればわかってもらえる、という希望もあるかもしれませんが、親の介護では寄与分は認められることはなかなか難しいのです。

 

なお、これは「遺言書を書き間違えた」場合も同じです。自分の手書きで遺言書を作成する自筆証書遺言の場合、少しの書き間違いでも遺言が実現できないこととなってしまう恐れがあります。



◆成年後見で後悔をしてしまう◆

成年後見制度で正直者が馬鹿をみてしまうケースに出会ったことがあります。子供がいない夫妻の世話を甥がしてくれていました。夫は少し体が悪く、甥の世話は大変心強く助けになりました。そのため、夫は甥に財産を相続させる遺言書を作成しました。遺言書が無ければ甥には財産が相続されないことが濃厚だったので、遺言書を残すことで甥への気持ちを現実にすることができました。

 

ここまでは夫妻と甥の間での気持ちは通っており、その気持ちを具体的に形にすることができたため、良い事例です。

しかし、問題はここからです。この夫妻と甥の間が今までとは変わってしまいました。遺言書を書いたことで遺産がもらえるとわかったからか、もしくは別の何か原因があったのか、両者は修復が困難な程度までの不仲になってしまいました。(夫妻のお話しでは甥の不誠実な態度が原因とのことです)。そのころ夫は施設に入っており、甥の介護は不要となっていましたし、妻も甥の助けは借りていませんでした。甥はもう関係を断っており、何をしているのかを夫婦はもう把握しておりませんでした。

 

さて、問題となる点ですが、この夫はある時期より認知症を患っておりました。程度はまだ軽かったので、後見人をつける必要性は具体的に発生はしていませんでした。しかし、夫妻は成年後見の法律などには疎く、また、世間に対する責任感が強かったため、後見人を付けることで認知症になってしまった夫が世間に迷惑をかけることが無くなるものだと信じていました。そのため、まだ軽い症状である段階で法定後見人をつけました。

 

この夫妻は周囲の人へのことを考え後見人を付けました。しかし、後見人は本当に必要になる状況が訪れるまでは余り役に立たないことが多いのです。むしろ後見人を付けたことにより不自由になってしまう懸念があるのです。

実際にこの夫は認知症になったことでも他人に迷惑をかけることはありませんでした。そうゆう意味では夫妻が期待した後見人のメリットは発揮されませんでした。

 

この時点で後見人を付けた影響がこれだけならばまだ良かったのです。実は後見人をつけたことで大きな問題が残ってしまいました。それは甥への遺言です。甥への感謝の気持ちで残した遺言書ですが、甥との不仲によりその遺言書は不要になりました。介護してくれたことは感謝をしているが、その後の態度を鑑みると甥へ財産を残す遺言は撤回したいと感じるようになりました。

しかし、後見人をつけたことで、その遺言の撤回をすることができなくなりました。法律では後見人がついた人の遺言の撤回は医師2名の同意が必要なのですが、これは現実的にとても困難なのです。

 

この夫妻は甥の介護に対して真摯に感謝し、その感謝の意を表すために律儀に遺言を残しました。認知症になったときも、まだ軽い状態であり、具体的に必要となっているわけではないのに、周囲への迷惑にならないようにとの思いから後見人をつけました。

しかし、その都度、法律に従い律儀に手続きをしてきた結果、不仲になった甥への遺言書を撤回することができなくなってしまいました。私はこの夫妻に対してなんとも言えない悲しさを感じました。その都度、より良いと思う法的な手続きを律儀に行って来たにも関わらず、結果的にそれが自分たちの首を絞めてしまったのです。

 

 

 

◆相続やお葬式の際に馬鹿を見てしまう◆

亡くなられた方の遺産を受け継ぐ際、「遺産分割協議」という話し合いを行います。この遺産分割協議は正直者が馬鹿を見てしまう恐れが存在します。

 

・口の上手い相続人

遺産分割協議は話し合いなので、口が上手い人が話を進めていきます。自分の意見を主張できる人は自分の有利になるように勧めることができますので、口下手だったり引っ込み思案の方は当然不利になります。

 

・上の兄弟には逆らいづらい

また、兄弟の中で上の兄弟ほど発言権が強くなってしまうことがあります。法的な発言権ではなく、上の兄弟になるほど気持ち的な部分で兄弟の間での力が強いということです。法律云々でなく、「長男が家を継ぐのが当たり前」、という考え方が支配している兄弟などは他の兄弟は萎縮してしまうと意見が言えなかったりします。

 

・しっかり者としっかりしていない者

他には例えば「しっかり者の兄」と「しっかりしていない妹」などの場合です。親はダメな子ほどかわいいのか、しっかりしていない子に対して手厚い対応をすることがあります。しっかりしている兄弟は自分で生計を立て、自分で家を建て、親の生活などの心配もします。しかし、しっかりしていない方の兄弟については、何かあるごとに親から援助を受けていたりします。

相続で問題になりがちなのは「家を買ったときの費用」です。しっかりしていない子に対して親は何かと援助していたりしますが、大きな費用として家の購入資金です。家の購入資金は「特別受益」として遺産分割の対象になります。「しっかり者の子」はしっかりしているが故、相続の際に相続できる財産が減ってしまっています。「しっかりしていない子」は生前にある程度の財産をもらっているため、最終的に得をしているのです。この生前の贈与はなかなか証明できないので、しっかり者の子は相続の際にも悔しい思いをしていまいます。



・お葬式などで

「しっかり者」と「しっかりしていない者」でのトラブルについていえば、しっかり者が馬鹿をみてしまうことが多いのですが、お葬式などについても当てはまります。

 

「しっかりした兄弟」はお葬式をあげます。それ以降の法事なども執り行います。その費用は自身の財布から支出します。お葬式にはお金がかかりますし、急な出費になることが多いので、葬儀を執り行う人にとってはなかなかの負担になります。

 

さて、この葬儀費用。本来は誰が支払うものでしょう。法律的には実は決まった考え方がありませんので、相続人がだれであろうと喪主が支払うという考え方もあれば、相続人が負担するという考え方もありますし、相続財産(亡くなった方の財産)から支払うという考え方もあります。実際には法的な議論をしても埒が明かないので、遺産分割協議の際にどう取り扱うかを話し合って決めるのが現実的かと思います。

 

しかし、「しっかりしていない兄弟」は遺産分割のための準備もしません。話し合いにも積極的ではありません。また、自分が損をしているのではないかと文句を言います。

「しっかりしている兄弟」は葬儀をして、費用を支出し、話し合いにも協力してもらえない、なんていう理不尽な扱いを受けることがあります。

 

 

<最後に>

人間の社会は完璧ではないので(というか不完全な部分の方が多い)、正直者が馬鹿を見てしまうという事態が発生してしまうのは避けられないのだと思います。しかし、事前に予測することで、準備することで、関係者がなるべく平等に扱われるよう工夫することができると思います。昔のように集団の中の慣習が重要視される世の中と、現在のように個人の主張が重視される世の中とで、どちらが良いかはわかりませんが、どちらであってもやはり正直者が報われる世間であって欲しいと思います。

 

 

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